永代供養 妙應山正行寺<BR>久遠堂 eMail:info@kuondo.jp info@kuondo.jp 
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妙應山正行寺のご紹介
如是我聞  今から六百年余り昔の事。鎌倉時代が滅んで百年も経(た)つと言うのに平和な日は一日とて無い、武士が合戦(かっせん)を繰り返す戦乱が絶えない時代。中でも惨(みじ)めな暮らしに追われていたのは名もない庶民達でした。

 鎌倉に本覚寺(ほんがくじ)を開かれた日出上人(にっしゅつしょうにん)は、そんな世の中にいつも心を痛めておられました。
「何とか世の中を良くしたい」
 日出上人はその思いの為に出家し、天台宗の学問所に学び、一乗坊正信(いちじょうぼうしょうしん)と名乗りました。

 しかし、いくら熱心に学問しても、人々を苦しみの世界から救う道は見つからない。己(おのれ)の至らなさに、無念の思いを噛(か)み締める日々を送っておりました。そんな折、わが身にも悲しい事が降(ふ)りかかりました。命を授(さず)けて下(くだ)さった母が亡(な)くなったのです。

山門より境内を望む この為に兄の日延上人に従って身延山へと上がり、供養を営(いとな)む事になりました。これは母のお導きだったのかも知れません。日出上人は、ここで生涯の師、本行院日学上人(身延山本地院本行坊開基)と出会ったのです。

 当時、日学上人は未(いま)だ身延の一学徒でしたが、熱意溢(あふ)れるその教えに若い日出上人の心を動かしました。衣(ころも)を変え、名を一乗坊日出と改めたのは、母の死がきっかけだったそうです。

 宗旨(しゅうし)を天台宗から日蓮宗に改めた日出上人には、新たな活動が待っていました。自分を鍛(きた)え直す修行(しゅぎょう)に加え、布教にも熱心に取り組みました。そして、当山、正行寺は長禄三年(西暦1459年)、この日出上人によって開かれたのです。

(鎌倉本覚寺 「日出上人と東身延日朝さま」より)
開創 長禄三年(西暦1459年)
開山 一乗院日出上人
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住職よりご挨拶

住職写真  皆様、初めまして。当山住職の菊地是宗(きくちぜしゅう)でございます。この度(たび)は、当山のホームページをご覧頂き、誠に有り難うございます。

 当山は日蓮宗の寺院であり、総本山は同じ山梨県内は身延町(みのぶちょう)の身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)でございます。

 宗祖(しゅうそ)日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が開山した身延山には久遠寺を中心に、ロープウェイあるいは往時を偲(しの)ぶ山道を歩いて至る標高1153メートルの山頂の奥之院思親閣(おくのいんししんかく)、日蓮大聖人の御霊(みたま)眠る祖廟(そびょう)、日蓮大聖人が身延での9年間を過ごされた御草庵(ごそうあん)跡等があり、西には末法総鎮守(まっぽうそうちんじゅ)の法華経(ほけきょう)守護神、七面大明神(しちめんだいみょうじん)を勧請(かんじょう)する七面山敬愼院(しちめんざんけいしんいん)や、徳川家康公側室のお萬の方(かた)が水垢離(みずごり)をして七面山女人(にょにん)登詣(とけい)禁制を解(と)いた白糸(しらいと)の滝もあり、日本国内でも有数の聖地でございます。又、身延・七面両山の山頂からは東に霊峰富士を拝し、その頂(いただ)きから昇る御来光(ごらいこう)をフィルムに収(おさ)めんと、県内外各地より多くのカメラマンが訪れております。

 ホームページにてご紹介しております収骨式、位牌(いはい)奉安永代供養(えいたいくよう)堂「久遠堂(くおんどう)」は、仏都身延よりお車で約45分、JR身延線の特急で約20分。霊峰富士と南アルプス連峰を仰(あお)ぐ甲府盆地にございます。

 さて、私の生家は、身延山は西谷の宿坊、本地院(ほんじいん)本行坊(ほんぎょうぼう)でございまして、春夏秋冬、多くの皆様のお世話をさせて頂いております。宿坊にお泊まりになられ、身延山内の名所旧跡を散策、静寂の中、厳修(ごんしゅう)される久遠寺での朝のお勤めを、皆様も体験されてみては如何(いかが)でしょうか。又、身延山は古き時代より、「みのぶまんぢゅう」と「湯葉(ゆば)」が名物でして、宿坊では湯葉を用いた料理もお出し致しております。

 当山のホームページをご覧頂いたのも何かの縁。これを機会に当山並びに身延山へ是非、足をお運び下さい。又、永代供養をご検討の方は、どうぞご相談下さい。当山久遠堂では心を込めて永遠に永代供養を致します。

 それでは、どうぞごゆっくり当山のホームページをご覧下さい。

妙應山正行寺第43世住職
菊地 是宗

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妙應山正行寺歴世住職一覧

世 住職名 入寂年次 備考
開山 一乗院是生日出上人 長禄3己卯(1459)年4月9日
(享年79歳)
妙厳山(鎌倉東身延)本覚寺開山
二祖 行学院鏡澄日朝上人 明応9庚申(1500)年6月25日
(享年79歳)
身延山久遠寺中興11世
妙厳山(鎌倉東身延)本覚寺2世
身延山行学院覚林房開山
開基 生善院日源大徳 長禄3己卯(1459)年1月6日  
2世 寛光院日昌上人    
3世 心立院日珎上人    
4世 円明院日暁上人    
5世 通心院日明上人    
6世 了栄院日学上人    
7世 本明院日家上人    
8世 皆行院日恵上人    
9世 蓮行院日隆上人    
10世 感応院日栄大徳 元禄3庚午(1690)年1月11日  
11世 妙性院日立上人    
12世 法住院日宗大徳 元禄3庚午(1690)年10月29日  
13世 円受院日酒上人    
14世 遠光院日祐上人    
15世 宗白院日永大徳    
16世 信教院日語上人    
17世 東源院日閑上人    
18世 心如院日理上人    
19世 恵心院日教上人    
20世 光明院日栄上人    
21世 常円院日儀大徳 享保5庚子(1720)年8月14日  
22世 守玄院日逗大徳 宝永5戊子(1708)年7月23日  
23世 乗具院日陰上人    
24世 恵海院日教大徳 享保5庚子(1720)年5月21日  
25世 南昌律師日実大徳    
26世 真妙院日法大徳 宝暦4甲戌(1754)年7月23日  
27世 円光院日実上人 寛保3癸亥(1743)年4月13日  
28世 体仙院日澄上人    
29世 妙慶院日遙上人 宝暦13癸未(1763)年1月2日  
30世 玄光院日浄上人    
31世 雲騰院日灌上人    
32世 林仙院日澄上人    
33世 善行院日恵大徳 寛政9丁巳(1797)年4月6日  
34世 禅智院日逞聖人 寛政10戊午(1798)年6月22日  
  観了院日定大徳    
35世 天寿院日明大徳 文化6己巳(1809)年6月29日  
36世 堅受院日善大徳 安政3丙辰(1856)年2月18日
(享年85歳)
 
37世 日邃上人    
38世 潮善院日遂聖人
(宇佐美善旭)
明治17甲申(1884)年12月2日
(享年70歳)
 
39世 潮心院日門聖人
(有泉蓮旭)
明治24辛卯(1891)年7月11日
(享年47歳)
当山38世潮善院日遂聖人弟子
40世 潮光院日研聖人
(田中義学)
昭和11丙子(1936)年10月3日
(享年79歳)
広教山信立寺40世・潮音義衷梵師弟子
妙忍山(玉穂)妙性寺24世より入山
長昌山(一宮)徳本寺24世
妙清山(甲府)清運寺19世
41世 潮善院日乗聖人
(山下温秀)
昭和25庚寅(1950)年12月2日
(享年88歳)
一極山仏乗寺22世・潮秀本秀温師弟子
妙忍山(玉穂)妙性寺25世より入山
一極山(昭和)仏乗寺23世へ転住
42世 潮重院日治上人
(菊地温誓)
昭和61丙寅(1986)年6月26日
(享年77歳)
広教山信立寺45世・潮妙義遜襄師附弟
43世 日康
(菊地是宗)
  大和山(田富)蓮重寺30世
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